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東京高等裁判所 昭和51年(ネ)606号 判決 1977年6月13日

控訴人 青山用

右訴訟代理人弁護士 中村誠一

被控訴人 小川ちよ

右訴訟代理人弁護士 赤堀正雄

主文

一  原判決を取り消す。

二  被控訴人の請求を棄却する。

三  訴訟費用は第一、二審とも、被控訴人の負担とする。

事実

控訴人は、主文同旨の判決を求め、被控訴人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張は、原判決の事実摘示と同一であるから、これを引用する。

理由

一、請求原因第一項1ないし3の各事実は、当事者間に争いがない。右事実によれば、被控訴人は、甲地の賃借人として、乙地につき囲繞地通行権を有することが認められる。

そして、被控訴人は、乙地に現在存在する幅員〇・九七メートルの通路(別紙図面(ア)、(イ)、(B)、(A)、(ア)点を順次結んだ直線内の部分、以下本件現状通路という)では、建築基準法四三条一項の趣旨に照らしても、通路としての幅員が狭く不十分であって、二メートルの幅員がなければ宅地として利用できない旨主張する。

しかしながら、囲繞地通行権は、袋地の利用のため囲繞地の利用を制限するものであるから、その範囲は、袋地の利用に必要でかつ囲繞地のため損害の最も少ない限度で認められるに過ぎず、右限度は、結局社会通念に照らし、附近の地域性、相隣地利用者の利害得失、その他諸般の事情を総合して斟酌し決するほかないところ、《証拠省略》を総合すると、甲、乙両地は、国鉄静岡駅南口から南西約四〇〇メートルの建物密集地域に所在し、両地の位置関係、形状、両地上の建物の配置、本件現状通路の位置関係は、別紙図面記載のとおりであって、控訴人及び被控訴人は、それぞれ乙地、甲地を居宅の敷地として使用しており、控訴人が被控訴人のために幅員二メートルの通路を乙地に開設するためには、間口において一メートル余、奥行一四・六メートルにわたって控訴人の居宅の一部を取りこわす必要があり、そうすると同居宅の公路に面した間口部分は四メートル弱となり、控訴人及びその家族の居住上多大の不利益を受けることが認められ、他にこれを左右するに足りる証拠はない。なるほど、建築基準法四三条一項によれば、建築物の周囲に広い空地がある等安全上支障がないときを除き、建築物の敷地は道路に二メートル以上接していなければならない旨規定されているのであるが(本件では、甲地上に被控訴人の居宅が現存しているので、同法三条二項により、右規定の制約は、右居宅の増改築、又は新築の場合に受けることになるにすぎない。)、右規定は、公益上の行政目的から建物建築のためその敷地の用法を制限しているものであって、囲繞地通行権の決定に直接制約を及ぼすものではないと解すべきである。

そうとすれば、前記認定した各事実に照らし、特段の事情も認められない本件にあっては、被控訴人が乙地に対して有する囲繞地通行権の範囲は、建築基準法上の前記制約によって決定されるべきではなく、被控訴人とその家族の日常生活に支障を生じない程度をもって必要かつ十分と認められる限度で決定するのが相当である。

そして、本件証拠上、本件現状通路が被控訴人とその家族の日常生活に支障を与えているとは認められず、被控訴人の右通行権の範囲は、本件現状通路をもって必要かつ十分と認めるのが相当である。

二、次に、被控訴人は、控訴人の妻ひさよの祖父青山幸吉が、昭和三七年九月ころ、被控訴人に対し、乙地に幅員二メートルの通路を設ける旨約束したと主張する。そして、被控訴人本人尋問の結果(原審(第一、二回)及び当審)中には、これに沿う供述部分が存し、かつ、幸吉は、右約束を証するため昭和三七年一二月末ころ、甲一八号証(遺言状)を作成し、被控訴人にこれを手交していた旨の供述部分も存するのであるが、右供述部分及び甲第一八号証は、《証拠省略》に照らして措信できず、他に右主張事実を認めるに足りる証拠はない。

すなわち、《証拠省略》を総合すると、甲、乙両地はもと一筆の土地で、幸吉がこれを賃借し、乙地上に昭和二〇年一〇月ころ居宅を建て、幸吉夫婦、三男利三郎とその妻の被控訴人ら家族、二男金蔵の長女ひさよらが同居していたところ、控訴人は、昭和三七年四月ころ、右ひさよと結婚し、右幸吉宅に同居するようになったため、被控訴人夫婦ら家族は、幸吉の承諾を得て甲地に居宅を建て、右幸吉宅を出たものであるが、そのころ甲地から公路への通路としては、甲、乙両地に隣接する富井重嘉所有の静岡市泉町三番の三宅地(以下丙地という)との境界線に沿って、乙地部分に幅約〇・三六メートル、丙地部分に幅約〇・六一メートルの合計約〇・九七メートルの幅の空地を、右富井と共同して使用していたことが認められるところ、被控訴人は、被控訴人ら家族が右幸吉宅を出て甲地上へ居宅を建て移転する際、幸吉が被控訴人らに対し、将来乙地に幅員二メートルの通路を設ける旨約束したというのである。しかしながら、前掲各証拠によれば、右富井が昭和四二年七月ころ、自宅を改築し、乙地との境界線まで丙地一ぱいに車庫を建てたため、右通路として使用していた部分が、乙地部分の幅約〇・三六メートルの部分だけに狭められることになり、人の通行もできない状況になってしまったため、幸吉、控訴人らは、乙地上にある居宅(但し、昭和二八年四月所有名義は右志ゑに移転されていた)のうち、右通路として使用していた部分に沿って幅約〇・六三メートル、奥行約一四・六メートルにわたる部分を取りこわし、現在のとおり、幅〇・九メートルの本件現状通路を設けたことが認められるのであるが、その際、被控訴人が、幸吉及び控訴人らに対し、幅員二メートルの通路を設ける旨の前記約束の履行を主張した事実は認められず、又その後も、被控訴人から、幸吉及び控訴人らに対し、右約束の履行を求めていたこともうかがえないのである。《証拠判断省略》従って、右約束があったとする被控訴人の前掲供述部分は措信できないといわざるをえない。

次に甲第一八号証についてみるに、被控訴人本人尋問の結果(当審)によれば、幸吉は、昭和三七年一二月末ころ、被控訴人に甲一八号証を記載させ、幸吉名下に自ら捺印したものであるというのであるが、右記載内容を検討するに、まず「私儀昭和参拾七年秋(当時泉町三ノ三番地小川利三郎居住の裏に建坪拾六坪の木造平屋建を建築し」との記載につきみるに、前掲乙第六号証によると、小川利三郎の住所の泉町三番地の三は、昭和四一年六月一日に住居表示の変更により同町八番八号となっていることが認められることに照らし、「当時泉町三ノ三番地」なる記載のあることは、甲第一八号証が、それに記載されている昭和三七年秋に作成されたものではなく、右表示変更後に作成されたものと推認できるから、被控訴人の右甲第一八号証の作成に関する供述部分を措信することはできず、他にこれが真正に作成されたものと認めるに足りる証拠もない。

三、そうとすれば、被控訴人が乙地に対して有する通行権の範囲は、前記一で説示したとおり、本件現状通路をもって相当と認められるので、これを二メートルと拡張して認める原判決を取り消し、(本件弁論の全趣旨によれば被控訴人が本件現状通路の通行権を有することは明らかであり、本訴請求はこれを二メートルに拡張するよう求めているものと解され、本件現状通路部分の通行権の確認を求めているとは解されない。)被控訴人の本訴請求を棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法九六条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 瀬戸正二 裁判官 奈良次郎 小川克介)

<以下省略>

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